「千と千尋の神隠し」から紐解く。現代の「NIMBY」について
千と千尋の神隠しに見る現代の社会問題「NIMBY」
今日は、ちょっと変わった視点から、環境問題と私たちの姿勢について書いてみます。
誰もが知るジブリの名作『千と千尋の神隠し』。
内容は言わずもがな知られていますよね。作品では個性豊かな神々が登場しますが、ひときわ強烈な印象を残したのは「オクサレ様」なのではないでしょうか。

酷い悪臭とヘドロをまとい、歩くだけで周囲の植物を枯らしてしまう不浄の神。湯婆婆をはじめ油屋の従業員たちは、オクサレ様が油屋に来ると大パニックになり、新人の千尋に押し付けようとするシーンは有名ですね。
誰もが嫌がり、遠ざけようとしたオクサレ様。これまで何度も見返してきた『千と千尋の神隠し』ですが、先日あることに気づきました。あの油屋の大騒動のシーン、実は、現代の私たちが抱えるある深刻な社会心理が浮かび上がってくるんです。それが「NIMBY」という問題です。
NIMBYとは、“Not In My Back Yard(私の裏庭にはお断り)”の略語。 社会全体にとっては必要不可欠であると認めつつも、自分の居住地域にそれが建設されることに対しては強く反対する住民の心理のことです。
オクサレ様の正体と、体から溢れ出た「人間活動」
物語の終盤、千の機転によってオクサレ様の湯番はなんとか成功を収めますよね。千がオクサレ様の体に刺さっていた「トゲみたいの」を引き抜くと、自転車や家電製品、大量の生活ゴミが出てきました。

すべての汚れが洗い流された後に現れたオクサレ様の本当の正体は、実は高名な「名のある河の神」でした。本来は清らかな水の神様でしたが、人間が川に捨てたゴミや泥が蓄積した結果、あの変わり果てた姿になってしまっていたのです。
実は、私の大学のキャンパスが埼玉県所沢市にあるのですが、このシーンには身近な地域の歴史が隠されています。
宮崎駿監督はかつて所沢に在住しており、地域を流れる「柳瀬川(やなせがわ)」の清掃活動に深く関わっていました。監督が泥の底から実際に自転車を引き揚げたという原体験が、あのオクサレ様のシーンのもとになっているというのです。
かつて柳瀬川は、周囲の都市化にともなう生活排水によって激しく汚染されていました。しかし、地域住民によるゴミ拾いや、地域への「下水処理施設」の建設・整備が進んだことで、今では魚が戻ってくるほどの清流へと生まれ変わっています。
こうして背景を知ると、このシーンの持つ意味が深まります。 オクサレ様をめぐる一連の騒動には、私たちが経験してきた環境破壊の歴史と再生の歩みが、詰め込まれているのです。

(渡辺尚東村山市長の𝕏より)
「NIMBY」とは?_必要だけど、近くにはお断り。
ここで注目したいのが、オクサレ様がやってきたときの油屋の従業員たちの反応です。彼らが取った「あんなに汚くて臭いものは、自分の近くに来てほしくない」という拒絶の姿勢は、現代社会における「NIMBY」の心理そのものといえます。
現実社会において、NIMBYの対象となる代表的な施設には、例えば以下のようなものがあります。
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下水処理施設・ゴミ処理施設: 日々の生活に絶対必要ですよね。でも、悪臭や有害物質への懸念、収集車の往来による騒音から、近隣への建設は避けられがちです。
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ダム: 治水や利水のために不可欠なダム。その一方で、居住地を追いやられるなどの理由から、激しい対立を生んできました。
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刑務所: 社会の治安維持に欠かせない施設ですよね。でも、「心理的な恐怖」「地域の治安やイメージの低下」から、誘致や建設への反対運動が起きやすいといわれます。
どれも「誰かが引き受けなければ、社会が回らない」(柳瀬川も綺麗にならない)施設です。しかし、私たちはつい「必要なのはわかるけれど、自分の近く(Back Yard)だけはやめてくれ」と願ってしまう気持ちもわかります。
油屋の神々と私たちは同じ?“Back Yard”をめぐる問いかけ
オクサレ様を異物として排除しようとした油屋の神々。彼らの姿を見て「うわ、やだ、汚い」と、つい共感します。それこそが、私たちが「NIMBY」の態度を持ってしまっている証なのかもしれません。
人間誰しも、一度得た生活水準を下げるのは難しいものですよね。私だって、アルバイトの時給が下がったら嫌ですもん。それと同じで、一度手に入れた「ボタン一つでトイレが流れ、蛇口をひねれば綺麗な水が出る快適さ」を手放して不便な暮らしに戻るのは現実的ではないです。
私たちが快適な生活を送る裏側で生じる「ゴミ」や「汚物」は、どこか遠くの地域や、目に見えない場所に押し付けられています。そして、それが自分のすぐ近くにやってこようとした途端に、油屋の従業員たちのように「来ないで!」と拒絶反応を起こしてしまう。
でもそれは、私たちが「悪者」というわけでもないと思います。
もしかすると、私たちは無意識のうちに、快適で何不自由のない生活を送らされているのかもしれません。
あまりにも社会が便利で綺麗すぎるからこそ、その裏側にある現実を意識する機会すら失っている。だからこそ、自分の「裏庭(Back Yard)」にそれが現れたとき、受け付けられないのです。
おわりに_私たちは油屋の神々のままでいるか、それとも
作品の中で、油屋はオクサレ様を拒絶しようとしましたが、千尋は正面から向き合い、お湯を注ぎ、その体に刺さったトゲ(ゴミ)を抜くために尽くしました。かつての柳瀬川で、泥にまみれて川を掃除し、生態系や地域住民の生活と向き合ってきた人たちがいたように。
現代の環境問題に対して、私たちは油屋の神々のままでいるのか、それとも千尋になろうとしてみるか。
オクサレ様のシーンは、そんな問いを投げかけているように思えてなりません。
MIYAKAWA RYO
宮川 亮
Fridays For Future Yokohama 設立者 / 東京都環境局「DO!NUTS TOKYO」第5期アンバサダー
2004年生まれ、早稲田大学4年生。16歳で環境保護の学生ムーブメント「Fridays For Future Yokohama」を設立。市議やNGOとの意見交換をはじめ、企業への講演や環境系イベントの主催・運営を行う。大学では、子どもの野外環境教育に携わるほか、アジア学生交流環境フォーラム参加、福島原発の視察、能登支援に携わる。活動を通して抱いた問題意識から、ストレスフリーに環境に配慮した行動変容を促すアイデアの社会実装に取り組む。大学の研究助成(24・25年度)、社会起業家支援プログラムに採択されたのち、上場企業に企画提案。 ボーダレス・ジャパン「JOGGO」公式アンバサダー(25年度)。東京都環境局「DO!NUTS TOKYO」第5期アンバサダー。